69.下駄がない!

少し堅い話が続きました。ここらでちょっとリフレッシュ!ということで、今日は知人の経験した、ちょっと風変わりな事件をショートショート風にまとめてみました。ところで、最近は履物ドロボーなんているのでしょうか。今日のHatenaは、そんな疑問について実際知人から聞いた話を書いてみます。また内容の性質上、個人の特定を回避するため、骨子が変わらない範囲で内容を修正してありますので、ご容赦ください。

疑問(69)下駄が無い!

ずいぶん前のことになります。 親元を離れ、そろそろ学生アパートの暮らしにも慣れてきたころです。そして5月になったころには、アパートから数分で行けるその銭湯は地域に溶け込むためのコミュニケーションの場にもなっていました。ただまだバイトのあてもなく、親からの仕送りだけでは倹約の日々です。ですから銭湯も毎日は行けません。それでもまあ週に二三度はみんな連れ立って、銭湯を満喫していました。そんなある日の午後、帰る銭湯の下駄箱の前で連れの一人が叫びました。「あれ?下駄がないぞなもし(注:たしか四国の出だったか?)。」今まで湯船に浸かって紅潮していた顔が、下駄箱の前で一気にらっきょ顔。「そうや。あんた下駄やった?(注:たしか名古屋の出だったか?)」と誰かが聞きました。そしてまた「ちょっと待ってください。間違えた人の履物が最後に残るから犯人はすぐわかるはず。だから明日にはすんなり解決じゃないかい?」とまた他の誰かが刑事コロンボのように至極冷静な風に言いました。被害者の当人も銭湯の前でガヤガヤしていても仕方がないと思ったか、取り合えず番台の人に話してスリッパを借りて帰りました。「明日には返っているはず、きっときっと…」とブツブツ言いながら。そんなこんなで翌日、当人は般若心経を念じるごとく銭湯へ行ったのですが…お~残念!神に見放されて手ぶらで帰ってきました。それから毎日、誰かが銭湯に行く折には、下駄箱近辺の確認と番台へ聞いてみることにしていました。そして夏と秋も終わり、乾いた冬の風が流れ始めたある日の午後、アパートの出入り口から「下駄あったぞ!」の大声が聞こえてきました。部屋にいた者は「君と出会った奇跡は~♪」と口ずさんではいませんが、疾風のごとくそこに集まりました。見ると当人の手には、朽ち果てた下駄が一足。それはかの下駄の変わり果てた、ある意味苦渋の時を歩んだ姿でした。下駄の歯は斜めにすり減り、高いところでも1センチほどあるかないか。さらに鼻緒も本来の太さの半分ほどに激やせし、いわゆる「ちびり下駄」もしくは、ただの薄汚れた間伐材の断片のようにさえ見えました。ただあまりの変わり様からか、当人の目はちょっぴり潤んでいました。そして「近ごろ下駄は希少価値だから、その人つい失敬したのかな…それにしてもよく減ったなあ」と呟きました。ただ誰も「希少価値…」という発言に「え!?」とか「う!」とか言って反論しませんでした。なぜなら、単に当人のプライドを傷つけたくなかったからです。なぜこのご時世で下駄なのか、入学して早々だったと思いますが、当人に聞いたことがあります。すると自慢げに「自分は漱石と縁のある名門校の出身で、明治に席巻したハイカラへのアンチテーゼとして生まれたバンカラ(注:野暮ったい身なり)にずっと憧れ、変人と言われようが大学では絶対下駄を貫こうと決めていた」と話した記憶があります。そしてその下駄を発見した日には「下駄が出てこれば犯人捜しはもうけっこうだし、番台の人には<今日帰るお客の中に、自分の履物が無いと大騒ぎする人がいるかも知れない>とだけ伝えてきたよ」とも言っていました。しかし結果的に、予想したその「大騒ぎ」は永遠に起きませんでした。それ以来、当人は下駄を履くのを止めましたが、帰還した「ちびり下駄」は、なぜか本棚の上にいつも仰々しく鎮座していました。そして「下駄の母川回帰現象(注:サケが産卵で生まれ故郷の川に帰ること)」とか「ブーメランGeta(注:ゲッターと本人は言っていました)」または「御神木(注:木には違いないけど)」などとよく人に自慢もしていました。それから幾年かのち、当人の結婚式では一部の来賓には少々ウンザリ顔も見られましたが、その下駄について朗々と語りました。あげくにキャンドルサービスでは、はた目には見苦しくはあっても、ゲゲゲの鬼太郎のごとくカラ~ンコロンの音を発生させ、勇気凛々さらに威風堂々とその下駄を履いてテーブルを回りました。そしてそれからまた幾年月が流れ、今棺に眠る当人の足には「人生の友」とも呼んだ下駄がしっかり履かされています。ただその磨り減った左右の下駄は口惜しそうに「病気だとは言え、ちょっと早いよな。本棚の上、結構居心地よかったし、履かないから磨り減らないし…」と別れ花が足元の下駄に触れるたびに呟くのでした。そしてそれは遠い昔、銭湯への道すがら聞いた、あの清々しくもあり、ちょっと寂しくもあるカランコロ~ンの音を参列者の心に蘇らせるのでした。

本日は佐藤優著地政学入門を紹介します。ウクライナ戦争など現実に起こりつつある地政学上の紛争についても、簡潔で図を多用した大変わかりやすい内容です。ただしkindle版は図が見にくいので単行本をおすすめします。

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