最近、新聞のテレビ欄を見ると昔のドラマ、それもサスペンスドラマの再放送の多いこと多いこと。それで渡瀬恒彦さんなどは、亡くなられたことが嘘のように感じられるくらい、再放送ドラマの多くを占めておられます。実際、それらを観る機会はあまりないのですが、それでもちょぼちょぼ観ていて感じることがあります。ではその感じることって。今日はそんな疑問で話を進めます。では…
疑問(51)今昔TVドラマ概論
まず昔のドラマは、主役の年齢が今と比べて『おじい』、いや失礼しました、若干年齢が高いに訂正します。例えば渡瀬恒彦さん、橋爪功さん、藤田まことさんなど当時でも若くはありません。もちろん水谷豊さんなどのように、還暦すぎて今でもバリバリ主役を張る人もいるにはいますが、昔のドラマと比べたら少なそうです。次に感じるのは、ドラマに使われるBGMの多さとその音量。これは今のドラマの方が過去のドラマを圧倒的に凌駕しています。そのため、それが役者の言う台詞に終始かぶり続けているため、演技の妙を感じるにはいささか不都合な環境になっています。昔、ある往年の大スターが言いました。「台詞を言わない時の演技、さらに無言でいる時の手の演技ほど難しいものはない」と。ただ今のドラマは視聴者にそれを観察させてくれるような余裕を与えてくれません。それでもと、もし思われるなら一度頭の中でBGMを消去してみてください。びっくりするほど単調な演出や演技にお気づきになられることと思います。次に気づくのは、セットに使われる備品の少なさやシンプルさ。もちろん昔のドラマに比べて今のドラマに、です。例えば映画の寅さんシリーズでは、その時代や個々の家庭環境、さらには登場人物を精緻に反映した備品の数々。もうこれは毎回圧巻でしたが、そこまでは至らなくても、やはり再放送で観る昔のドラマには努力の痕跡が認められました。が、同じサスペンス物でも、今の警察署シーンでは大会議室に日本の国旗を正面に貼るぐらいで、そこに犯罪者の混在する人間臭さ、泥臭さはほとんど感じられません。また家庭内のシーンでも、昔のドラマには置かなくてもすむようなもの、例えば土産で貰った色んな民芸品や、いつ飲むかどうかわからないような、おそらく飾り物としての高級ウイスキー瓶などが入った水屋箪笥などが必ずありました。それに比べ今は、徹頭徹尾断捨離を済ませた、まさに生活臭の無いモデルハウスのような仕立てです。以上ドラマの今昔について、気づいたことを今回三つ書きましたが、ついでにどうしてそんな今昔の相違が生まれたのか考えてみると、やはりテレビ制作の合理化ゆえかも知れません。不況を脱しえない日本。過去のような製作費はとてもスポンサーも認めてくれないご時世です。それで手抜きの中でも見逃され易いセットや備品等のカットなのでしょうか。また出演者も欧米のように、舞台での下積みや学校で演劇の専門を学ぶといったキャリアに乏しく、大手プロダクションの采配に任せた新人起用といった日本のテレビ、演劇界に敷衍する流れによるものでしょうか。演技の妙を知る。もうそれは見果てぬ夢物語かも知れません。まさにBGMの音響効果が、そんな雑念を綺麗さっぱり霧散してくれるのですから。
コメント