この夏、すでに40度を超えた地域があるとか。熱い字の方が当てはまると感じるほど暑いですね。その暑さ対策にと考えたわけではありませんが、本日の「疑問」の穴は、冷(霊)気ありそうな「戒名」の話題にしました。ただこれ冷気を、というより、考えれば考えるほどヒートアップしてきて、逆効果になるかもしれませんけどね。
疑問15(戒名)
亡くなった時、お寺さんにつけてもらう「戒名」、そのお布施たるや物価スライド制なのかどうか、とにかくお高い。それを鰻丼のように上と並みに分けると、上は50~100万円、並みでも10万円以上します。そしてその中身の違いはというと、院号のような格付文字が付くか付かないかの差。その院号のついた戒名だと、高額な分あの世でもなにかしら良いことでもあるのかな~と、不純な想像を私のような俗物はついしてしまいます。ではこの「戒名」について、類似したものが他の宗教、例えばキリスト教やイスラム教にもあるかと言えば、ありません。日本の神道には類似したがものがあるようですが、人は全て等しく神の子という考え方から、戒名にあたる神道の「おくりな」には俗名(生前の名前)を使うそうです。また同じ仏教でも他国にはこうした戒名は無いようです。ただ日本の仏教界でも創価学会(他にもあるかもしれません)は「戒名は仏教の開祖釈迦の教えにはない」といった理由で戒名はなく、白木の位牌には俗名(生前の名前)を記載するそうです。ではそもそも戒名とは何なのか? それは、お釈迦様の弟子になったことを証明する免許証やパスポートのようなものだそうです。まさに「あの世の沙汰も金しだい」を表象するような気もちょっぴりします。では、この戒名を付けないことで何か不都合が生まれるのでしょうか。まず墓の場所が決まっている場合には、戒名を付けない事を生前にそのお寺と相談しておくことが必要なようです。なぜなら多くのお寺は無戒名の墓碑を認めないからです。ただ白洲次郎さんや三國連太郎さん。最近では「戒名は不要。わが骨は必ず海に散らせ」の遺言を残した石原慎太郎さんなども戒名なしの旅立ちをされました。また伝統といっても、この「戒名」の制度は江戸時代からのようです。ただ戒名不要ではお寺の収入は減るし、メディアもそうした宗教法人を敵にまわすと何かと厄介といった思惑か、そんな記事はまず見当たりません。またその制度自体が、親に名付けてもらった大切な生前の名前を蔑ろにし、面識もない赤の他人が「戒名」として名付け親になるという、ある意味とても非情にさえ思えるものです。それをなぜもっと仏教界やメディアは話題にしないのか。これが猛暑によぎる、本日の疑問の穴です。
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