敬愛するS先輩から、ある艶歌斉唱の話を聞きました。そう書くと「なにそれ?艶歌か演歌か知らないけど、それを歌って何か問題?」とお思いの方も多いはずです。それではこれから、S先輩の経験した今でも心に残る、ちっとも甘くも切なくもないけど、若干面映ゆいその一部始終を聞いたままお話します。
疑問64艶歌斉唱
S先輩は本州のとある中学生でした。かれこれ半世紀前のことです。その時代といえば、終戦直後生まれの生徒が多く経験したように、民主的な教育を推進するうねりは多くの教職員にも共有されていたようです。その中学では毎朝ホームルームの時間があり、授業の始まる前に各クラスで決めた歌を斉唱することになっていました。歌は一週間ごとの週替わりで、前週末にクラスの多数決で決めていました。また当時は大人向き、子供向きといった楽曲選別も今よりは曖昧で、大多数の幼稚園児や小学生も大人の歌謡曲を主にうろ覚えで歌っていたそうです。そんな時代背景ですからS先輩の隣の家の幼稚園児など、父親の置屋通いに時々ついていくので(母親が夫の不貞防止のため敢えて連れていかせたらしい)、家で歌うのは、お座敷唱ばかりだったそうです。なおS先輩によると、その子の十八番は、「桜の模様がちょいと気にかかる…♪」といった歌詞だったそうですが、どなたかご存じあります? ちょっと話は横道にそれましたが、いよいよ今回の面映ゆい記憶の原因となる事件に入ります。さあ来週から新しい「ホームルームの歌」という土曜日、クラスでは歌の選考会です。最初は今までと同様にNHKみんなの歌系が推挙されましたが、突如「一週間に十日来い!」と叫ぶ者がいました。それは生徒会長で女子にもモテ男のA君。その時生徒はどうしたかって? S先輩によると一斉にクラス担任の顔を見たそうです。当然S先輩も見たそうですが、それはモノクロ静止画のようで、とても気の毒に思ったそうです。そして先生はポツリと「その歌だけはやめてくれないか」と言ったそうです。が、その先生の要望はすぐ「先生!君たちが自主的に決めたことは認めるといつも言っているのに、おかしい!」と非難の声に打ち消されてしまいました。それでも先生は「ちょっと考えさせてほしい」とその場で結論は言わず退室しましたが、またすぐに戻ってきて「よし、その歌でいいよ」と言われたそうです。後日、生徒たちの間でも先生の立場を慮る声があったそうですが、翌週その歌は決行されました。それも凱旋歌のように大声で、一週間毎朝。ではその歌を紹介します。これはユーチューブ動画でも聞くことができますのでぜひ。
(1962)一週間に十日来い (歌)五月みどり
※1963年の第14回紅白歌合戦では、五月みどり自身の「一週間に十日来い」歌唱時には、瞬間最高視聴率85.3%を叩き出しました。またこの第14回紅白歌合戦の視聴率もテレビ番組史上最高の81.4%を記録しています。
➀見れば見るほど いい男
飲みっぷりなら 日本一
トコトン トコトン
あなた好き好き かわいいお方
花も咲きます トコトン酒場
一週間に十日来い
トコトン トコトン
➁惚れちゃ駄目よと 意見して
それでいつしか こうなった
トコトン トコトン
はしご酒なら 浮気なしょうこ
さあさ飲みましょ トコトン酒場
一週間に十日来い
トコトン トコトン
☆以下③④は省略
S先輩が先日初めて話してくれた時、ついでにトコトン、トコトンと歌ってくれました。そして歌のおわりに、「先生、その節はトコトンごめんね」とダジャレも言いました。酒も入っていたので、潤んだ赤い目でした。そうそう、そのあとの顛末はどうだったのでしょう。今ならワイドショーで「猥雑中学、恥を知れ!」とかなんとか毎朝うるさいでしょうが、S先輩の記憶では、そんな非難や一切のお咎めなし。家庭内でもそんな話題無し。もちろん教育委員会や校長などが鎮座しての、お詫び記者会見などもなかったようです。そして担任の男性教諭も中学の校長を経験され、今は大変高齢にも拘わらす゛何かのNPOで活躍しておられるそうです。その時、S先輩には「先生もお年だから、コロナが落ち着いたら長くご無沙汰の同窓会をやったら」とまあ月並みな助言をしておきました。そして自分はと言えば…「それってホンワカおっとりした、いい時代だなあ…、それにつけてもお茶屋遊びしたい~」と不謹慎発言の体たらくでした。
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