獲得賞金ランキング。今やスポーツの世界や将棋の世界など様々な分野で賞金王とか賞金女王とかの呼び名をよく聞きます。「今年の〇〇賞金(女)王は〇〇さんです!」 もちろんそれを聞いた時に感じる度量の狭い、また泉の如く湧き出る妬ましさを私は反省すべきだと思っています。ただスポーツや将棋(の他数々)の偉業を金銭の額で評価するのも何か淋しいですね。そこでこれを本日の疑問にします、では…。
疑問21(賞金王)
スポーツ庁は競技スボーツのことをこう言っています。「競技スポーツは自らの能力と技術の限界に挑む活動であると同時に、その優れた成果は、人々のスポーツへの関心を高め、スポーツ全体の振興に資するとともに、活力ある健全な社会の形成にも貢献するものといえます。」ほら、「金儲けに資する」なんてどこにも書いてないでしょ。少なくとも、本音はどうか知りませんが「金」なんて言葉どこにも出てきません。さらに「活力ある健全な社会の形成」などと崇高で、ちょっと小恥ずかしくなるような表現まで出ています。それにもかかわらずですよ「今年の〇〇賞金(女)王は〇〇さん!」とは何というさもしさ。選手もそれを聞いて気分はいいのでしょうか。もしそれを言いたいのなら聞こえるか聞こえないぐらいの小声ですね。ともかくスポーツ競技などまで強欲資本主義の泥沈にまみれ、新自由主義の臭さえプーンです。またこうした現状の発端は、1984年の米ロサンゼルスオリンピック大会から始まった徹底的な商業主義化や、またそれに照応してなされた同年サラエボ冬季大会のプロアスリート初参加が大きな誘引だと思われます。いずれにしても「〇〇賞金(女)王」の言い方、全ての価値判断を金銭で評価してみせる米国型価値観そのものに思えてきます。そして投資家をギャンブル賞金王というごとく(そんなこと言わないか)に聞こえてしまう軽佻浮薄なこの言い方、なぜメディアも検討することなく無批判に使うのでしょう。これもひょっとして米国メディアが使うからでしょうか。
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