70.賽銭?=脅迫?

みんなお賽銭って、どういう気持ちでするのでしょう? まさか鎮護国家のためとかじゃないでしょうね。やっぱり自分や家族の幸せを願ってが多そうですね。もうすぐお正月。初詣にブツブツ呟くあれも「家内安全、商売繁盛」「〇〇合格」といった類が多いのでしょうか。そこで今日はこのHatena、「ズバリお賽銭も脅迫にあたるのでは?」といった突飛な疑問です。では恐れ多くも、はじまり~。

疑問(70)賽銭?=脅迫?

まず脅迫の定義からいきます。まずそれは、刑法の脅迫罪(刑法222条)に当たります。それは、相手を畏怖させることによって成立する犯罪。別の言い方をすれば、脅迫とは、「生命、身体、自由、名誉または財産に対して害悪を告知すること」を言います。「プラットホームで一番前に立つなよ」とか「爆弾を仕掛けるぞ」とか「それをしてくれないと不幸な目に合わせるぞ」などです。さあ、もうお気づきでしょうか?最後の三番目の「それをしないと不幸な目に合わせるぞ」というところ。うん?これなんにも賽銭と関係ないじゃないか…とお思いでしょうが…では賽銭を投げるとき念じたブツブツ思い出してください。例えば「○○高校合格しますように」と唱えたとします。当然投げる賽銭はそのための対価のはず(おそらく)です。そして心の中で「ちょっとケチったからダメかなあ」なんて思いがよぎる場合もありますよね。そして相手の神様や仏様はいろんな手段方法で表向きは「いいよ、お賽銭は気持ちだけで」なんておっしゃってはいます(あるいはそう思えてくる)が、賽銭投入者側にはマインドコントロールよろしく「こんなぼんくら頭、賽銭ぐらい奮発しないと落としてもうたるで!」などと、天の声として聞こえてしまう不思議があります。どうです、もうこれもある種の脅迫になっていませんか? もちろん神様や仏様もそんな即物的で下世話な話などされないでしょう。やはりそれも布教という大義でなされる宗教のフランチャイズ化に宿す、まさに人間の業かも知れませんね。「宗教はアヘン」だというカール・マルクス。「宗教はフィクションだ」というノア・ハラリ。どこかの教団だけに限定せず、宗教そのもの摩訶不思議も、この際考えなくてはと思うのですが…どうでしょう。

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