さっそく今日は突飛な話題に入ります。
歴史的に性対象の異常として考えられてきたものは、次のようなものがあるようです。
☆オートエロティズム→自分の体を性対象とするもの。ナルシシズムともいいます。
☆同性愛→自分と同性の人を対象とするもの。
☆ペドフィリア→幼児性愛。
☆ゾ―フィリア→動物性愛。
☆近親相姦→親子や同胞と交わるもの。
…などですが、その誘引がなんであるかは諸説あり確定されていません。
また同性愛について語れば、日本では仏教や神道のいずれにもその言及がなく、そうした人に対する刑罰もありません。一方キリスト教圏、イスラム教圏、ユダヤ教圏、ヒンズー教では同性愛は異端としてその多くが刑罰の対象になってきました。しかし2001年、キリスト教圏のオランダが同性婚を認めるに至り、今はそれを認める機運が各国で高まっています。ただ今日取り上げる話題はその同性愛についてではなく、近親婚についてです。では、ちょっと躊躇しながら話を進めます。
疑問(26)近親婚
まず、最初に今日の疑問を言ってしまいます。「同性婚を認める流れの中で、近親婚(近親結婚)の禁止なくしたら?」という話が将来出てこないか、ということです。まず、その結婚はNO!とされる近親婚についてのおさらいをしておきます。近親婚とは近い親族関係にある者(親子、兄弟姉妹、叔姪、いとこなど)どうしが婚姻関係を結ぶことです。ただし、いとこ婚(いとこ同士の結婚)については、各国でそれを近親婚の範疇として見るかどうかは分かれています。例えば欧州や南米などは日本と同様に結婚OK!となっていますが、米国では各州によってその見解は分かれています。また中国や韓国ではNO!です。では近親婚の弊害とはなんでしょう。まずその前に近親相姦には意外にも罰則はありませんが、近親結婚となると同じく罰則はないのですが結婚はNO!です。その理由としてよく言われるのは、その子供は劣勢遺伝子による遺伝子疾患が表面化しやすいという「優性学」上の理由とされています(反対意見も多くあります)。では同性婚の場合と同様に「子宝に恵まれることを放棄すれば、いいのか」という疑問が生まれます。もちろんこれは、ジェンダ=論における兄弟レイプや夫婦レイプの問題とは関わりのない恋愛感情の帰結としての近親婚についての話です。そもそも古代エジプトのファラオでは血統の純潔性を守る意図で近親婚が多く、中世ヨーロッパでも王族の領土拡大といった野心のために近親婚が利用されたようです。いずれにしても、この問題は話すのちょっとね、といった感じで一種タブー視されてきました。ただ同性婚について進行する闊達な議論の推移を見ると、多様性を認め合う社会といった今の思想潮流の中で、やはり近親婚についても今後価値観の変容はありえそうに思われます。ただそうした変容が起きれば、個人的には今の「家族」といった概念も大きく変わり、さらにはそれが瓦解するかも知れないといった危惧を持っています。ともあれ、そうした思考逡巡の中で、タブーに触れると思いつつ今日は書きましたが、皆さんはいかがお考えでしょうか。
コメント