「多様性を認め合う社会」という言葉、近ごろ呪文の如く何かにつけよく聞きます。ではその「多様性を認め合う社会」とはいったい何なのでしょう。それは「自分と異なった意見や価値観を持っている人が世の中にはいっぱいいることを理解し尊重する社会」だそうです。これ字面だけで見ると、とてもいいお言葉。ところが現実社会を見ると何か釈然としない違和感が漂ってきます。という事で、そんな違和感を巷のHatenaとしますが、今日はまず第一弾として、その言葉が大好きな米国についての悪口で~す。
201「多様性を認め合う社会」ってどこ?
<2024/4 JR藤枝駅前 >
まず米国に関わる違和感と言えば…いつも米国は価値観外交の基軸として、その「民主主義」や「基本的人権」、「法の支配」を人類の普遍的価値などと称して他国にまで押し付けようとします。何様のつもりか知りませんが。また、どっこい世界はその国独自の歴史や文化に基づいた多様な価値観を持つ国の集合体であることを、さらさら理解されようとしません。以前にも書きましたが、そもそも普遍的価値などといったものがあるのかどうか。そしてその空疎さの例として、建国以来「崇高な価値観をもつ偉人だ!」「まさに普遍的価値の体現者!」などと祭り上げられ米国各地に設置されたブロンズ像の数々。それが今では米国の(普遍的)価値観とそぐわないとされ、至る所で破壊の憂き目にあっています。また米国はそうした独りよがりの素行の悪さから、「戦争中毒の国」(もちろん今は直接戦闘行為に加わることをせず、他国に戦争をそそのかし代理戦争を仕掛ける方法に変化しています)とまで揶揄されています。いづれにしても米国高官が「多様性を認め合う社会」などと発言されると、「あ~あまた自己陶酔型のダブルスタンダードを遺憾なく発揮されているな」と、つくづく思ってしまいます。
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