1975年10月、NHKで脚本市川森一の「新・坊ちゃん」が始まりました。そしてそこには当時まだ知名度も低い、劇団青年座の西田敏行さんも「山嵐役」に大抜擢されていました。「初めて見た時ね、西田敏行って言う人は不世出の役者になると思ったね」と言うのが、その後、彼のドラマを見る度に言う亡母の口癖でした。そんな西田敏行さんが亡くなられてしまいました、あぁ残念。今日のHatenaは「そんな西田さんのエピソードってどんな?」です。では…
(219) 西田敏行さん
<2024/10名古屋動植物園>
最近もBS放送で「釣りバカ日誌シリーズ」が放映され、幾度見てもその演技力は言うに及ばす、持って生まれた人間味、情愛の深さを心行くまで堪能することができました。その西田敏行さんですが、最近「徹子の部屋」でも追悼番組が放送され、また著書も売れているようです。ですから、もうご存知の方も多い話かも知れませんが、西田敏行さんにまつわるエピソードの中でも特に私のお気に入りのを、この場を借りて紹介したいと思います。
西田さん、1966年福島県から上京して明治大学農学部入学と同時に演劇の勉強のため日本演技アカデミー夜間部に入学。同年明治大学を中退し、日本演技アカデミー昼間部に移籍。そして仲間と劇団「シアター67」を結成しますが失敗。そして1968年に青年座俳優養成所に入所。1970年卒業と同時に青年座の座員となります。以上が簡単な経歴の説明ですが、これからお話する彼のエピソードは、まさにその貧乏時代のもの。そしてお気づきのように、そのエピソードの根底に流れるものも貧困に他なりません。ではエピソードを始めます。貧困真っただ中のある日、料金滞納のため電気の供給をストップされてしまいました。季節は冬。外は木枯らヒューゥヒューゥ、雪混じり。部屋は凍てつく暗闇の中。そこで改善策を色々考えましたが、ローソクにしても火鉢にしてもタダではない。そこでお金のいらない妙案を考え付きました。それは暖房の代わりとして「猫」の活用です。といっても餌代がありませんから、餌が無くても独立独歩自活できる猫。つまり野良猫を数匹集めたそうです。そしてそれを暖としてアンカのように触れる(あるいは布団の中に押し込める)という策です。「食事は出さないけど、素泊まりだけなら無料だよ~ん」というこの「猫活」、ゴロゴロうるさいとか臭いとか不都合はあっても、コスパはとにもかくにも「最高!」だったようです。そしてさらに部屋の明かり問題については、工事現場で夜間に点滅するポール、正式名「工事現場点滅灯(モノ太郎で販売中)」を拝借し(★この<拝借>部分は読んだら早く忘れてください)、部屋に持ち帰ったら少し調節して使う。どんな調節かというと、点滅は各々のポールで違うので、必ずどれかが点燈しているように小細工する。全部が消灯状態だと闇状態になるからですね。ただはっきり覚えていませんが、微細な調整で闇の状態は無くなったそうですが、部屋中がミラーボールに晒されているようになったそうです。
ところで「余人をもって代えがたし」の西田さん。天国でもホタテの貝殻ブラジャー着けているのかなぁ~。
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