218・教養は声に出る

 毎朝、朝日新聞に掲載される「折々のことば」に、先日、写真家土門拳の言葉が紹介されていました。土門拳はすでに故人となっておられますが、その名言はネット上で今もよく目にします。それにその言葉、写真家であるが故の対人洞察力のなせる技だとつくづく思ってしまう内容です。またそうした外見による人物判断は、かのリンカーン大統領の明言「人は40歳になったら自分の顔に責任をもたねばならない」にも通じています。余談ですが、そうした外見で人を判断することに対して、今はルッキズム(外見至上主義)、あるいは「外見で人を判断、差別する人」との烙印を押され、キャンセルカルチャーの餌食になる危険もはらんでいます。とにかく差別!差別!と息苦しい社会になってしまったものです。しかし実際「危険そう」、あるいは「やる気なさそ~」「助平そう」などと人を見て判断するのは口には出しませんが、日常茶飯事でやっていますよね。そしてそれで犯罪に巻き込まれるのを防ぐ効果もありそうに思っています。前置きが長くなりましたが、ここらで本題に入ります。そろそろ「はよ~言わんかいや、その土門拳の言葉ってなんやねん!」とお思いでしょうから…。という事で、今日の「巷のHatena」はその「土門拳の言葉」ってそもそもどんなんで、特にどんな言葉が「おもろい」のかを紹介しようと思います。では!

(218)教養は声に出る

 <2024/10華厳寺>

◎土門拳(どもんけん)1909年(山形県)~1990年(80歳)、戦後の日本を代表する写真家(著名人や庶民のポートレイトやスナップ写真、寺社仏閣や仏像などの伝統文化財の撮影)

{土門拳の言葉}(先日、折々のことばに掲載されたもの)

★気力は目に出る

★生活は顔色に出る

★年齢は肩に出る

★教養は声に出る

 どうです。中でも「教養は声に出る」は考えますよね。単にいい声なら、歌手はどの方も教養人ということになってしまいます。やはり声として出てくる言葉の質も関係しているのでしょうか。とにかく膨大な数の被写体に接して土門拳が感じた人間観察の極意。タイムパホーマンスなどと野暮なことは考えず、日々じっくり、ゆったり人間観察したいものです。

「土門拳の言葉」のおまけ

★写真家はスリである

★習ったうまさほどイヤなもはない

★カメラのレンズキャップをはずしなさい

★撮っても意味がなくなるまで撮る

Bitly

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