時給1000円の人の年俸の4250倍が大谷翔平さん。今日はこれについて、貧者からの疑問だよ~っと。
疑問(89)大谷翔平4250倍
今日も賃上げに関するTVニュースで、「今こそ労働の価値を正当に評価することが必要です」と、自己の揺るぎない信念のように語るコメンテーターがいました。ごもっともなご発言。ただその後が良くない。その舌の根の乾かぬうち、画面がスポーツニュースにかわると、大谷翔平選手の驚愕年俸を思慮なく称賛し続けるコメントです。あ~ぁ、はたしてこの人、今年こそ、やっと最低賃金、時給千円そこそこに到達と言った日本の現実をご存じないのでしょうか。かたや大谷選手の年俸はフィールド外収入も含めると、なんと85億円!「今こそ労働の価値を正当に…」などと、したり顔で言うなら、その驚愕の年俸なども、一歩立ち止まって労働の価値を評価する議論の俎上にあげてみてはどうでしょう。もちろん、こんなことを言うと「与える感動が一般人と違うの、このバカ!」といったお叱りを受けそうです。が、貧者の負け惜しみと思われても勇気を出して聞いてみたいものです。例えばその最低賃金で言えば…時給1000円×8時間×260日(1年間に働ける労働日数の上限)=年収208万円です。かたや大谷選手の85億円。その差4250倍といった天文学的数字は、どこから生まれるのでしょう? 「いや、これは芸術家への対価のように、その卓越した才能に対するその希少性を評価した年俸だよ」といったご意見もごもっともです。だけどですねぇ、目立たず重労働の薄給にもかかわらず、世のため人のために命がけで働く人を見聞ききしません? そうした仕事だって夢や希望、大きな感動を与えてくれますよね。たとえ大谷選手ほどではなくても、です。そして4250倍の感動とはいったいどんなものなのでしょう。心臓パクパク、意識朦朧、卒倒といった感動でしょうか。ともかく「労働の価値を正当に評価」とはまさに聖人の発する言葉の如くカタルシスを与えてくれます。が、現実は中身の無い慣用句のようです。マルクスは労働力の価値についてこう言っています。<労働力の生産性は現実の労働者を前提とし、そのためにはある特定額の生活手段を必要とするので、労働力を再生産するのに必要な労働時間とは、労働者が消費する生活手段を生産するのに必要な労働時間に帰着する。したがって労働力の価値は、労働者の維持に必要な生活手段の価値に等しい。>と…。どうです、まだ「心」がありますよね。
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