欧米、中でも米国は「普遍的価値」を盛んに言います。では「普遍的」とは一体どんな意味でしょう。今日はそんな「巷のHatena」です。
疑問(90)普遍的価値
「普遍的」とは辞書で見ると…<すべてのものに共通しているさま=すべてに敷衍するさま>なのだそうです。そしてバイデンさんの好きな「普遍的価値」とは、どんな条件下でも通用するような価値を言うようです。またそれが政治の舞台で使われると<国家間の境界を超越し、人類全体にとって現代及び将来世代に共通した重要性をもつような、傑出した文化的な意義、自然的な価値を意味する>ものとなります。今や米国は米国型民主主義こそ、地球上における普遍的価値そのものだと声高に、「人権」や「民主主義」なるものを前面に押し立て、近い将来米国を経済力で抜くのであろう中国に勇猛果敢にケンカを吹っかけています。ただちょっと待ってください。そもそも「普遍的価値」なんて、あるのでしょうか。たとえばそれが「普遍的価値」のように思われている「人殺しは絶対ダメ」といった倫理観や概念も、じゃあ「じゃぁ死刑制度はいいのか」という話になります。米国にだって州によっては死刑制度がありますからね。また卑近な例になりますが、「美人」の概念さえも、地域や時代で変化していきますよね、おそらくきっと。最近、米国では、当時は普遍的価値観の体現者として制作されたであろう様々な偉人のブロンズ像が時を経て、人種差別や今の価値観に合わないといった理由で無残に引き倒されています。また広島や長崎への原爆投下の当事者である米国も、当時は「普遍的価値観」にもとづいた戦略の一環だったのでしょう。つまり「普遍的価値」が仮にあったとしても、その内容は時代とともに移ろいやすく、さらに時の権力者の手練手管にまみれていそうです。また国々の歴史や文化の成り立ち、さらには宗教の相違により、「普遍的価値」とおぼしきものは当然それぞれ異なっり変遷をたどっています。ですから、とどのつまり他国に押し付けるような、そもそも「普遍的価値」なんて無いように思うのですが、どうでしょう。
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