「女性天皇を認めたら?」といった議論が花盛り。では「なぜ男性しかいけないの?」という疑問が出てきます。そして突き詰めていくと、天皇制そのものが「どうなの?」という話になりそうです。が、それがそう簡単に話は進みません。女性天皇どう?という話ぐらいなら、まださして難しくないのですが、天皇制の存在そのものになると一種のタブー、いわゆる菊タブーが厳然とあるからです。今日はメディアも忌避する、そんなタブーに触れそうな、巷に漂う皇室にまつわるHatenaです。
(94)天皇制
最近の皇室について巷で囁かれる皇室スキャンダルの筆頭と言えば秋篠宮家と小室家の話ですが、これはあまりに人権無視のバカ騒ぎなのと、メディアの劣化をひしひしと感じさせるものなので、ですからそれは省きます。ふ~っとため息ついて、それでは巷に漂う皇室についてのHatenaを始めます…➀まず、天皇を男性にこだわる理由ですが、それは皇室典範第一条にあります。「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定められているからです。ではなぜ女性ではダメなのか。人間の性染色体は男がXYで女はXX。それで天皇(父親)の血がその子孫に受け継がれるためには、子供は男であることが必要という結論。まだちょっとこの説明では物足りないないでしょうから、より難解になるかも知れませんが、もう少し補足します…人間は「22対の常染色体」と「一組の性染色体」を持っています。この「性染色体」は女がXX、男はXY。そして常染色体と女の性染色体の場合は対になっているので生殖細胞がつくられる際に交差が起きます。そして染色体のどこかに切れ目が入り遺伝子を交換します。ところが男の性染色体を構成するXYは対になっていないので、ほんの一部分を除いて交差が起きません。よってYは父から息子へそっくりそのまま、ほとんど変化せず受け継がれるのです、といった考え方です。ともあれ、この部分で参考にした動物行動研究家の竹内久美子さんはこう結論づけています。…日本の皇室では少なくとも、そして知り得るかぎり、千数百年にわたり、ほとんど同じYが受け継がれている。Xや常染色体上の遺伝子は交差によってばらばらとなるなど、世代を経るごとに変化するのに対し、Y上の遺伝子はしっかり保存されているのだ。以上が皇位継承について、巷に渦巻く疑問の片鱗です。次に➁として巷でヒソヒソ囁かれる皇室そのものの存在意義についての話です。まず『街場の天皇論』の著者である内田樹氏が、自身のブログでこんなことを言っておられますので紹介します…天皇制を廃止しなければならない喫緊の理由があるのか。まずそれを考えるべきでしょう。果たして「天皇制があるせいで、私は現にこのような被害を蒙っている」という具体的な事実がどれくらい列挙し得るのか?僕は根っからのプラグマティストなので、制度について原理的に正しいとか、原理的に間違っているというような話には興味がない。それよりは「天皇制が廃絶されることによってどういうメリットがあるのか」を知りたいのです。天皇制廃止がもたらすメリットは天皇制存続がもたらすメリットよりも大であるということについて誰かが僕を論理的に説得してくれたら僕はそれに同意します。僕は「世の中がより住み易くなる政策」には基本的に賛成します。…とまあ、こんな意見を述べておられます。しかしこの話には大きな欠落部分があるよう感じてしまいます。まず天皇制についてメリットとディメリットについて論ずる場合、何がメリットで、何がディメリットと感じるかは、個々人にとって流動的なものでもあり、恣意的にもなりうる事柄だということ。例えば同じ苦いでも、ビールは苦いところが美味しいから、それがメリットという人と、苦いところが不味いからディメリットという人がいるようにです。そしてさらに疑問なのは、この話の中に人として、あるいは個人としての天皇や皇族方のご意向、さらには天皇・皇族方ご自身の人権については何ら考慮されていない事です。もちろん「天皇・皇族は現人神で、人間ではない」と思えば別ですが。
例えば、人権無視じゃないかなぁと思われそうな、こんな具体的事例があります。まず憲法2条で「皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と明記されています。つまり「天皇の仕事は世襲である」と。それが憲法22条では「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転および職業選択の自由を有する」となっています。ですから現実は保障されるべき22条の規定に反し職業選択の自由のほか、居住についての自由さえなく、皇居のように広大な居住空間だとは言え、ご自身の裁量で決めることはほとんど不可能です。また天皇や皇族には選挙権や被選挙権もありません。公職選挙法(昭和25年法律第100号)の規定で戸籍法(昭和22年法律第224号)の適用を受けないものの選挙権及び被選挙権が停止されており、これにより、天皇・皇族もそれらを行使できないのです。こうした自由の無い生活を強いる現行制度、その是非はいかほど検討されてきたのでしょう。ただ現実は61年に起きた嶋中事件(皇室を冒涜したとして、右翼による中央公論社長暗殺未遂事件)などを契機に、天皇制そのものについての議論も、ほとんどメディアで取り上げられなくなりました(例外としては田原総一郎の朝までテレビがありますが)。今なお菊タブーは連綿と続き、言論の自由を声高に言いながら、むしろ強い者との暗黙の了解、あるいは忖度の土壌をメディア自身が敷衍しているような気がしてなりません。
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