ウクライナは善、ロシアは悪といった勧善懲悪的な論調が今も続いています。そんな中でも、別の視点を貫き通しておられる、勇猛識者の鑑のような人がいます。それは元外交官の孫崎享氏。アエラ8月21日号ではその持論を話しておられますが、果たしてその内容は? ということで、今日の「巷のHatena」はそれでいきます。(こんなの巷のHatenaじゃないかなぁ~)
(98)孫崎享さん
庭の迷い子狸
アエラ8・21号は、またまた今回も勇気凛々。このウクライナ戦争ではロシアや中国の手先とさえ罵られながらも、かの佐藤優氏や副島隆彦氏と同様、勇気をもって米国の言論誘導に抗う人、孫崎享(まごさきうける)氏を今回誌上に登壇させています。記事はウクライナ戦争について、一方の肩入れに慣れ親しんだ読者の思考回路を活性化させるためか、二者の両論併記となっています。一方の論者には、いつもながら忠実な米国のロビイスト的存在である某大学教授。この方、学者でありながらフェアな視点を忘れた戦争おたく的発言の数々や、戦争終結への道筋などの思慮をおざなりにして、今回も「この一戦、NATO諸国のさらなる団結と兵器供与にあり!」などと、あたかもかっての大本営発表もどきに、この戦争を煽っておられます。ともあれ反米発言などすればキャンセリング対象になりそうな不安から、昨今メディアまでが誌上発言者の反米危険度をチェックするとか、しないとか。ところがどうして、米国にへつらわない愛国者の孫崎さんは、毅然と物申しておられます。では、そこに書かれた孫崎氏の論調はどんなものか何点か紹介します。
➀ウクライナ戦争についての報道は、米国に偏りすぎの論調が続いているが、戦況報道や単なるロシア批判にばかり終始せず、停戦や終戦に向けての論考がもっと必要。
➁安倍元首相は昨年2月27日のテレビ番組で「プーチン氏の意図は、NATOがウクライナに拡大することを許さない。またプーチンは領土的野心ではなく、ロシアの防衛、安全確保という観点から行動を起こしている」という趣旨を話し、「ロシア側にもそれなりに理解しうる理由がある」と語っていた。さらに5月に安倍氏は英国エコノミスト誌の取材で「ゼレンスキー氏がNATOに加盟しないし、さらに東部2州に自治権を与えると言っていればロシアの侵攻は無かった」とも語っていた。③しかし政界の最重要者とおぼしき総理大臣の声さえ、結果的にはメディアや政治家は無視し、広く国民に共有されることはなかった。さらにゼレンスキー氏を迎えてのスタンディングオーベーションを境に、政界もマスコミも米国やゼレンスキー氏の声に偏り、客観的に状況を把握しようとする力を働かせなかった。④安倍氏が➁で指摘したように、1990年のドイツ統一に際し、米国のベーカー国務長官がソ連のゴルバチョフ書記長に「NATO軍の管轄は1インチも東に拡大しない」と発言するなどの「約束」を覆したことが、この戦争の最も大きな要因となっている。当然に条約という形をとっていない約束なら破っていいという論理は成り立たない。⑤ともかく「ロシアが悪い」だけではなく「米国や他の国にも問題があるのでは」といった別の視点をもつことは、この戦争をどう終わらせるかを考える上で重要。⑥ウクライナの総人口4千万人の内、1.3千万人が家を追われ、ウクライナ兵だけで一日に百人以上の兵士が戦死している現状は、いつまで続くのか。領土奪還といった「正義」のために戦い抜くとすれば、どれだけ尊い人命が失われることか。たとえ正義が後退しても、外交による和平を模索し「命と平和」を模索すべきだと思う(出典アエラ8月21日号<長期化する戦争米ロの責任は>より抜粋)
ウクライナによるクラスター爆弾の使用を認めた米国。その時あるTVコメンテーターはこう話していました。「戦争で大切なのは、その勝ち負けより、どういう勝ち方をしたのか?」
また別の時、ある識者は「戦争は一刻も早く、メンツや外圧にこだわらず終わらせた方がいい。日本には、後の明治新政府躍進の原動力となった江戸城無血開城の歴史がある。その教訓を生かしてトルコや中国、インドのように日本も停戦調停に乗り出すべきだ。」
以上、今回もアエラの宣伝となってしまいましたが、最後にちょっと余談です。副島隆彦氏がその著書の中で、安倍元首相の亡くなられたときの「怪」について書いておられ、このブログでも取り上げましたが(No68あの事件の怪)、ご記憶ありますか? その時は陰謀論的な話で「チョットね?…」と思ったのですが、そうです「米国CIAによって…」と書かれていた、あの部分です。今回の安倍元首相に関する記述部分と、なんとなく引っかかるのですが、どうなんでしょうね。まぁ間違いなく杞憂でしょうけど…。
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