88シン室井佑月

「女も輝け!」って、何故言うんでしょう?

これが今日のHatenaです。

疑問(88)シン室井佑月

そもそも社会で働くことが、そんなに育児などの家庭労働より崇高なことなのでしょうか。そして社会で働くということの目的は何なのでしょう。さらに岸田さんのように「異次元の少子化対策」をなぜ声高に言う必要があるのか。どうもそんなところに「経済成長こそ、わが命」といった抽象的テーゼが命脈しているように思えてくるのです。ではとどのつまり、なんのための経済成長なのか。それには「よりよい生活を得るため」あるいは「便利で快適であるため」といったような答えが返ってきそうです。しかし一庶民にとっては、なにか釈然しとません。それに「よりよい生活を得るため」といった欲望を駆り立てる夥しい商品の量といったら、こんこんと湧き出る泉のごとしです。たとえまだ使えるものがあっても、流行といった策術で、時間の経過とともに物品の陳腐化を思い描かせ、「欲しい、欲しい」の衝動を駆り立てます。たしかに半世紀前に比べればインターネットやウオシュレットなどの普及は、個々人の生活にとってまさにエポックメイキングとなりました。しかし「よりよい生活」に限ってみても、過労死を生むほど個々人の自由時間を疎外してまで労働力を投下したのに、こんなはずじゃなかったと思わずにはいられないような惨状です。殺戮力、破壊力をさらに強化した兵器は増加し、夢のエネルギと言われた原子力さえ、今では壊滅的な側面を露見させています。もちろん一見煌びやかな近代における車社会の敷衍も、公害や死傷事故といった悲劇のパラレルが付きまとっています。つまり経済成長こそ「よりよい生活」を得るための「よすが」といった短絡思考の呪縛。さらに「異次元の少子化対策!」や「女性も外へ出て働いて輝け!」といった政官財一丸となった、ビジョンの欠落したその場限りのプロパガンダ。これらは一見進歩を装いつつ、その実、資本の論理に裏打ちされた生産効率アップのために組み込まれた手練手管に他なりません。例えば、かのマルクスは、当時の女性労働者の採用について「資本家は労働者全体の賃金水準を抑えるために女性労働者を利用する」と言いました。つまり当時は男性が大半を占めていた中で、その労働者の賃上げ要求に対して「そんなに給料を上げてほしいと言うなら、(賃金の低い)女性を代わりに使う」と脅し文句に活用したのです。そして最近までその傾向は続いてきましたが、時代に照応してその脅しが使えなくなると、女性に代わって人種のちがいによる「搾取とその活用」、そして日本では正規と非正規といった雇用形態のちがいによる「搾取とその活用」が生まれ今は一番幅を利かせています。ここで考えてみたいのは、今は子供や老人は別にして、家族のほとんどが外で働き、その世帯収入で多くの家庭はなんとか食い繋いでいます。それは政府や識者が言うように「人は社会となんらかで関わりたいから働く」などといった生易しいものではありません。たとえそんな理由があったとしても、第一義的には食べて生きるためです。昔庶民は、食べ物以外の品に、今ほど刹那的な購買欲求は無かったはずです。ですから夫一人の収入と妻の内職収入で一家庭は成り立っていけました。しかし飽くなき拡大再生産を至上命令とする強欲資本主義の中で、人は絶えず消費を促され、生きる必須要件である「食う」こと以上に、他の消費財をもっと渇望するよう仕向けられて来ました。そこで当然そうした購買意欲を充足しうる収入が必要となり、働ける者はすべからく働くといった総動員令的生活を強いられてきたのです。一方企業も資本の拡大のため、さらなる商品の量産に励みます。そしてその結果、生産拡大のための従業員増加を渇望しますが、賃金は上げたくない。なぜなら投下資本を拡大再生産することこそが、貫徹すべき資本の論理だからです。そこで考えたのが、先ほどの人種や性別あるいは一部の国で残るヒエラルキーといった差別的残滓を臆面も無く活用して、労働者の賃金を作為的に圧縮し、労働人口は増加するという手段です。そこで「文句あるなら言ってみんしゃい、いやなら代わりにあん人採用するでのう!」という脅迫まがいの言質が飛び出してくるのです。少し今回も長くなりました。ここらで一区切りとします。続きはまた後日。ところで政官財+マスコミはよく「女性も社会へ出て輝け!」と言います。が、社会へ出たら輝くというなら、何も賃労働者として社会に出る必要はないはずです。例えば巷では「利他」といった理念や行為こそ崇高な思想だと、近ごろよく聞きます。ですから、本当に社会との接点を望むなら、ボランティアなどの無給活動で社会と関わる方がもっと良さそうです。さらに室井さんが言うように、「パートナーと相談して一人は仕事、もう一人は仕事なしと自分たちで決めればいい。政治家や世界銀行がとやかく言う筋合いの問題ではない。」という意見、まったく同感です。付言すれば、この役割分担を何年かごとにチェンジするのもいいでしょうね。変に「女性は…」なんて大上段に構えて言うから、「安価な労働力の確保」といつた意図が見え見えなんですよね。そしてもう一つ付け加えれば、いろんなボランティアの中でも議員ボランティアっていうのもいいかな。その議員はボランティアですから、もちろん無給です。つまりそうすれば今のように議員報酬や名誉目的で選挙に出るような、さもしい人を排除できるかもしれません。ちょっと余談ですが、日本の国会議員報酬3014万円はシンガポール、ナイジェリアに次いで3位、金額は5位の米国1914万円の1.5倍です。ちなみにこの主要30か国中の最下位は中国の242万円です<2019年東洋経済オンライン資料>。とにかく「物欲さえ充足できれば幸せを獲得できる!」「何は無くても経済成長!」といった幻想を捨て、人生を大切にする。そのためには流行などといった意図的、作為的につくられた消費マインドに踊らされることなく、余計なものを買わない、買わせないそんな社会と人心の一大変革も必要でしょう。斎藤幸平著「人新世の資本論」では経済成長そのものを追い求めることに疑問を投げかけています。つまり「経済成長の呪縛を解き、温暖化や過労死を生むような味気ない生活をやめよう」という話です。では次回もこの続きを…とさせていただきます。ただ今、スカパラ「青い春のエチュード」を聞きながら強炭酸水チュー、うまか~。では…

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