フェイク・フェイスとは?
結論から言えば、これは個人的造語。「偽りの顔」あるいは「偽顔」とでも言いましょうか。
では、話しを始めます。
疑問(96)フェイク・フェイス
とかなんとか回りくどいスタートですが、以前にも書いた今流行の「美容整形」についての話です。まず見てみてください、某国のテレビに出てくる女性キャスター(ひょっとして男性も)のまぁなんと似ていること。一様に二重瞼パッチリにして鼻梁ツン。まさに親戚一同のご出演を見る感じです。もちろんキャスターに限らず、国会議員やそのもっと上席議員の夫人などにも、そうした「似た者どうし」を多く見かけます。さらにその国では適齢期の娘に、親が就職試験前の美容整形を勧めることもよくあるとのこと。では我が日本国ではどうでしょう。やっぱり最近よく見かけますね、残念ながら(残念でもないか?)。目だけ極端かつ不自然に大きく、アニメの世界から飛び出してきたような顔。まさに希望の美少女アニメキャラを美容整形医に見せて「お願い!こんなにして」などと言ったのでしょうか。「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」とよく言いますが、そもそもフェイク・フェイスですから責任の持ちようがありませんから、その点、ある意味さっぱりして気楽です。が、美人の基準は時代とともに変遷し、決して「普遍的美人」なんてありません。顔の話からちょっと離れますが、例えば痩せとポッチャリについても、今は「痩せ型は美」、反対に「ポッチャリ型は醜」といった感覚が少しありますが、食料の無い飢餓の時代には、大体「ポッチャリ型は美」といった感覚でした。これは当時の絵画などの研究でもわかるのですが、もちろん今のような飽食の時代には「痩せ型は美」で推移しています。また日本の江戸時代に描かれた美人画を見てください。美人とおぼしき人の目は、今よりずっと細い。これは明治以降の欧化主義のまん延の中で、日本人の顔も欧米化を求めてきたから、どんどん大きくなってきました。よく巷では「個性を大切に」と声高に言われています。それにつけても、フランケンシュタイン博士じゃあるまいし、こんな「同顔の量産」っていいのでしょうか。「生まれた子供の顔が親と似たところがまるでない、生まれたらすぐ親顔に整形せよ!」といった慣習や、あるいは「DNA判定の証明書がマイナカードのように人生の必須アイテム」なんていうことが将来起こりそうな予感。それなのに○○クリニックなどが大スポンサーゆえに、フェイク・フェイスといった風潮への批判や論考に怖気づくメディアの不甲斐なさ。とまあ、いろいろ御託を並べてしまいましたが、これってやっぱり「本当はした方がいいから整形したいけど、お金が無いからね」といった個人的な僻みによるさもしい発言でしょうかねぇ~?
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