110勇気をもらう?

「勇気」とは? 今日のHatenaは「勇気」についてです。辞書を引くと「勇気とは物おじせず、事に立ち向かう気力」だそうです。さらに一時ブームになった心理学者のアドラー先生(嫌われる勇気で有名)によると、「勇気づけとは困難を克服する活力を与えること」だそうです。ところか最近よく聞くその「勇気」なる言葉、ちょっと気になるんですよね。そこでまた大谷選手絡みの話で恐縮なのですが、本日のHatenaはその「勇気をもらうってな~んだ」とさせて頂きます。では…出発!

110勇気をもらう?

街頭TVインタビューで「大谷選手のトジャーズ移籍と10年で総額1015億円の契約金どう思われますか」とインタビュアーが聞くと、老若男女いずれも微笑み混じりの表情でこう答えます。「勇気と感動をもらいました!」すると変り者の常で「どんな勇気?」と聞きたくなるんですよね。それにちょっと不安要素も入り混じって混沌。いったいこの気分、なんかなのかな?  まず「勇気」と言えば、自分の生死をかけてまで人の安寧のために尽くす姿。これなんかバッチし。例えばイスラエルのジェノサイドに対してガザで活動する国境なき医師団のような人たち。それにパラリンピックに限らず様々なハンディーにもめげず、くじけず、むしろそれを飛躍のバネにして夢や信念を貫く人。さらにそんな際立った行為でなくても、逆境にめげず、お金の亡者にもならず日々をひたむきに生きる人々からも「感動」さらには「勇気」をもらう経験はちょいちょいありますよね。ではなぜドジャーズ移籍&契約金1015億円のインタビューでは街ゆく人の返答が「感動」からさらに昇華した「勇気をもらった」といった発言にまでジャンプするのか。そして「勇気もらった!」を聞くたび「それでどんな勇気をもらったの?」と意地悪く聞きたくなってしまうのですが、それはもちろん当方に起因する、ひがみ根性の一端かもと自覚しています。さらに巷に敷衍する同調圧力。さらに、その共感度合いを表現するためのオーバーアクション傾向といった風潮(会話中に相手の発言への共感、共鳴を表現するため、やたら拍手をする行為もその一種かも)も影響しているのでしょうか。さあ皆さんはこの話、どうお思いでしょう。

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