今まさに話題騒然の「ティへんだー大谷翔平選手、結婚!」などという話ではありません。少し付け加えて言えば「翔平がいるから、ロジャースも好きになる」といった話です。「ん、それだけ?わか~んない」でしょうね。では別の言い方をします。つまり「寿司が好きだから、ワサビも好きになる」といった話だと考えてください。「う~ん、余計にわかんない」ですか。では、もっとストレートに言うとこんな話です。ある人が大谷選手の大ファンだとします。そしてその大谷さんが仮に、球団移籍の常習者で目が回るほどコロコロ移籍を繰り返しても、そのファンは一途に大好きな彼を追っかけるとします。そしてそれに照応して、そのファンはやっぱり彼の所属する球団も次々と好きになっていくといった話なんですが、ご納得いただけたでしょうか。次にですね、まさに球団の本拠地が自分の居住地と同じ、あるいは隣県などという理由で、この場合も「同郷→郷土愛→よって熱烈応援」と、まさに三段階弁証法的飛躍を遂げるのはなぜなんでしょう。同様に「同じ日本人だから→日本を応援する→応援して当然」というのも、なんだか解せません。そこで今日は、この風変わりで屈折した話を臆面もなくHatenaにしたいと思います。では変り者の話の、はじまり、はじまり~。
116 サッカー北朝鮮を応援して何が悪い?
2024/2 甲府
なでしこジャパンが北朝鮮に勝って、パリ五輪の切符を手にしました。おめでとうございます! しかし正直言うと、個人的には北朝鮮を応援していたので「愛国心が無いのか」と言われるかも知れません。また「寄りにもよって北朝鮮なんて、 非国民の反日!バカ」というお叱りの声が聞こえてきそうです。ただこの私、日頃からスポーツの国際試合の折は、応援する国の選定基準がこんなんなんです。まずその国の政治体制や成り立ちの如何に関わらず、過去の競技成績で弱い方を応援する。これを基本とします。さらに補足的にその国の経済的優劣を考慮し、もちろん劣勢な方を応援要素に加えます。なぜなら経済的優劣によるアスリート・パスウェイの差は、大きなハンディキャップのはずだからです。今回の日本対北朝鮮についてもFIFA直近ランキングで日本8位、北朝鮮9位。過去の対戦成績でも12勝5分7敗で若干日本の方が優位で、さらに国の経済的優劣も考慮すると、拉致疑念の当事国といった反感や反発はあっても、どうしても北朝鮮を応援する方にバイアスがかかりました。もちろんこの<応援する、しない基準>は国内競技の高校野球でも遺憾なく発揮されます。例えばチームや選手と同郷、隣県であることを理由で応援することなどありえません。なぜ「世界は一つ」を謳うスポーツ競技に「日本あるいは同郷を応援するべき」といった心情が生まれるのか。さらに他国や他県の高校の方を応援すると「君、愛国心や郷土愛がないね」といったアイロニーが発せられるのが不思議でなりません。かつて永六輔氏はTBSラジオ『永六輔の誰かとどこかで』の中で、こう発言しておられます。「僕はオリンピックはね、応援するのはいつもその競技の弱い方や弱小国の方と決めているんですよ」と。スポーツのエンターテイメント化で、そのワクワク、ドキドキ感は競技に参加しなくても今は十分堪能できます。また今後も競技自体がeスポーツのようなエレクトロニック・スポーツやバーチャルスポーツのさらなる隆盛が予測される中、同郷とか自国とかいった地政学的応援は衰退するのではと思っています。ですから色んな風に応援しましょう! 以上「スポーツ応援における多様性の構築」といった、変り者の講釈でした。
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