夏場になると、冷感(霊感)話がよく出てきます。まさに稲川淳二さんご活躍の季節ですね。ただどうなのでしょう。人間だけで動物にはそうした霊といったものがあるのでしょうか。今日はそんな疑問です。では、はじまり、はじまり~。
疑問30(動物霊)
動物霊について宗教はというと、神道ではそのアニミズム観により、生物に限らず無機物にさえ霊があると考えられています。動物霊でいえば霊力のある狐を「お稲荷さん」と祀ったりしますよね。また仏教では、「空」の考え方がベースですから霊魂には触れず、霊が有るとも無いとも、さらに人間と動物を分け隔てせず、みな連続する無常の流れ(無常観)の中にあるもので、常住不変の霊魂とは区別された概念をもっています。ただ日本に仏教が渡来したのは原始仏教より一千年以上遅れていたため、その間にヒンズー教の影響を受け、多神教あるいは神道と類似した側面、例えば馬頭観音などにそれを見ることができます。ではキリスト教はどうかというと、動物霊について旧約聖書、新約聖書ともに触れられていません。ただコヘレトの言葉の中に「…人間の霊は天空に昇り、動物の霊は地の下に降ると誰が言えよう」という一節がありますので、動物霊を否定はしていません。ではイスラム教はどうでしょう。やはりイスラム教の聖典には、どこにも動物霊は触れられていません。ただキリスト教と同様、その存在を否定はしていません。例えばクルアーン第六章には「地上の生きとし生けるものも、双翼で飛ぶ鳥も、あなたがたのように共同体の同類でないものはない。……やがてみなかれらの主の御許に召集されるのである。」という一節がここにもあります。このように仏教にはやや曖昧さはあるものの、宗教はおしなべて動物霊の存在を否定していません。ではこうした動物霊の存在をあながち否定しない思考背景にありながら、それらをいとも簡単に食用とて利用する、その合理性とはいったいどこから生まれるのでしょう。これが今日の疑問です。江戸時代には<生類憐みの令>があり、動物保護と同時に嬰児保護、傷病人保護も目的とされていました。また中国でも大乗仏教の影響で五世紀には肉食を完全に禁止しし、また韓国でも高麗時代ごろまで同様の命令が出されていました。ということで、今に至るまでにも動物愛護のために努力した歴史は多々あります。ところが今の食文化たるや、多大な動物の犠牲の上に成り立っているとも言えます。そしてある意味、生命の尊厳を側面から際立たせ得る怪談話にさえ動物霊に触れるものはほとんどありません。いつかこのブログに書いたように、牧場で「牛さん可愛い~」と叫んだあとのレストランで「このステーキおいしい!」を連発する。こんな不合理さは、人間のまさにエゴを貫徹するための「見て見ないふり」のような合理的習性かもしれません。もし人間に霊があると思うなら、動物にもちっぽけでも霊があると、そう思ってやりたいですね。そうすれば、きっと人間社会ももっと優しくなるのではと思うのですが、どうでしょう?
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