41.科学五輪

最近の朝日新聞に「科学五輪代表の女子は全体の5%しかいない、少ない!」という記事がありました。ではなぜ女子は少ないのか。その記事の答え(識者と言われる人の意見)はご多分に漏れず「理数に女子の関心を高めにくい環境になっている…」と月並みなコメントで終わっています。それは今回の問題に限りませんね。そうした性差についてメディアが論ずる場合「○○は男子の方が得意とか、または〇〇は女子が得意といった周りからの無意識発言や、さらには昔からある社会に漂う固定観念のようなものに左右されてしまう」という感覚的な話が常となっています。しかしそれ、社会背景ばかりが原因なのでしょうか。今日はそんなことにちょっと触れようかと思います。ではせ~ぇのっと!

疑問(41)科学五輪

橘玲氏は著書[言ってはいけない]の中で、米国で「黒人にノーベル賞受賞者は少ない(平和賞と文学賞のみ)なんて言ってはいけないけど、黒人は陸上競技に強いは、言ってもいいと書いています。なんとも、ややこしい話ですが、日本でも同じことありません? いつかの大スキャンダル「女の人は話が長い」事件もありましたね。それ関して言えば「男の人は話が長い」あるいは「男の人は助平」も差別の糾弾対象になるでしょうか(もちろん男性側から)。「いやそうじゃなくて、言われた相手が差別と感じれば、やっぱり差別だよ」と言われれば、そうか~と納得してしまうのですが、なにか釈然としません。話を科学五輪に戻しますが、本来の体力勝負五輪(オリンピック)については、すでに男女の体力差があるとして、馬や猿(…猿はないか)の力などを借りたものを除く、ほとんどの競技が男女別に分かれています。ただこうした競技の他にも、例えば日本では将棋や囲碁、あるいはeゲームなどと言った,体力差が関係あるような無いようなゲームの世界に於いても、また文学以外の芸術文化全体をみてみても、上位者比率を見ると、やはりその差はありそうです。ただこうしたものに対しても先程の科学五輪と同じように、性差の理由を具体的、科学的に調べようという姿勢はほとんど見当たりません。多くがそれを「とりまく社会の因習や固定観念のせい」にするか、「差別だと声高に言うだけ」です。以前「地図が読めない女、話を聞かない男」という本が売れた時代があります。それは性差に脳科学の光を当てた論考姿勢でした。今も新版が出ています。では今日も長くなりましたので、この辺で結論に入ります…。世の中には多くの性差にまつわる偏見や偏狭な価値観があるのも事実です。ただその原因の具体性を「考えることも差別だ!」なんて、あるいは「そんなの取り巻く社会環境のせいに決まってる」などと、木で鼻をくくったようなことを言わず、それらを脳科学的な解明に委ねることも必要ではと、思っています。たとえば「女性に秀才はいるが、天才はいない」「女性は動体視力や視野が狭いのでジェットパイロットは少ない」「女性は先を読む能力が劣るから、将棋などのゲームは弱いし数学も不得意」「文豪、巨匠といった人は皆無」「女性はマジシャンに向かない」「歴史に残る作曲家はいない」「女性は笑いのレベルが低い」(なお全ての項目に男性に比べを入れてください)。これらは、なんと差別的な言辞でしょう。しかし本当は男性の潜在意識の中にあるのに、こんなこと言うとメディアでは干されるし、モテなくなるし、ハチの巣つついたように煩いしから黙っているだけですよ、きっと。ですからぜひ「取り巻きの社会や大人が悪い」などと口先で胡麻化さず、勇気でもって、その虚言妄言の数々をもっと具体性や今流行りの脳科学を武器に論破、霧散してください。それこそ心の中に宿る様々な差別の温床を無くす、一番手っ取り早い方法だと思うのですが、どうでしょう。

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