占い、どうです信じますか? そして今、霊感商法への批判がまた再燃していますが、いつの世もコロッと何度も騙されてしまうのは人間の性なのでしょうか。今日はこんな疑問について、風水と占いで考えてみようと思います。風水と占いには申し訳ないですが。では…
疑問(46)風水と占い
まず、風水について。風水は4千年ほど前の中国で生まれました。それは運命や宿命といった受け身なものを、環境を変えることで運勢そのものを変えるという、まさに能動的な考えです。また風水を見据えた姿勢は住居や王宮などの建築にも生かされています。有名なものには北京の紫禁城や最近ではツバメの巣と言われたオリンピックスタジアムなどがその概念に基づいて建っています。しかしどうでしょう。紫禁城は映画ラストエンペラーにもあるように、決して平坦な道を歩んでいません。さらに日本の京都。日本独自の風水観を見据えてつくられた風水都市だとも言われています。そんな京都ですが1467年~1477年の応仁の乱では、その全域が焼け野原になるなど、むしろ内乱などの災禍にいくたびも遭遇した都市といった風です。特段に風水を否定するつもりはないので、ここで話題をかえ、占い師の古典的な対人誘導術を3つ紹介しておきます。ご存じの方も多い話なので、ご了承ください。➀占い師はお客と対面した時、まず「あなたのお父さんは、亡くなっておられませんね」と問う。すると相談者は、父親が実際亡くなっていれば「そ、そうです父は亡くなっています」と返答します。また相談者は、父親が亡くなっていなければ「そ、そ、そうです父は亡くなってはいません」と返答します。どうです同じ質問なのに、相談者は自分の境遇に当てはめて理解し「当たっている~この人凄い!」と感嘆してしまう。そうするとあとは占い師さんの手中です。そして「未来予想図もきっと占い師さんのいう通り…ね」となってしまうのです。➁「お宅の近くに松の木がありますね?」これも占い師が相談者に最初に聞く問です。これは古典的な手法で、昔は松の木の植わる家はそこら中にあった事実を巧みに利用したものです。「そうそう、自宅にはないけど隣の家には門被りの松が確かにある…」と相談者に思わせれば、これも成功。「この人何でも知ってる~、家のことまで気持ち悪いほど、きっと私の未来まで」となって、あとは楽勝。この後は未来予想図Ⅱとなるかな…③大きい構えの占い師になると、受付に担当者の問診票のようなものが置いてあり、それには相談内容や既婚かどうかなどを書く欄があります。ただ占い師本人は近くにはいません。相談者と受付担当者は沈黙のまま待機していると数分後受付担当者の先導で別室に入ります。受付担当者は入るなり座布団を敷いたり、お茶を出したりします。その間だれも喋りません、沈黙です。そして次に入室してきた占い師に促され、相談者が座布団に座ると間を置かず言います「今日は恋愛問題でお越しですね」と。もう相談者は緊張コチコチの上、こんな驚愕の事実を発せられ狼狽するばかりです。「嘘だろ~どうして知っているのだ、さっき問診票のようなものに書いたには書いたけど占いの先生と受付担当者は今までずっと沈黙のまま一度も喋ってない…ほんま不思議」と相談者が思ってしまえばもうこっちのものです(ちょっと表現が悪いかな)。それは確かに沈黙であっても、受付担当者が座布団を敷くとき座布団の四隅の位置などを変化させることで「恋愛」「家族」「仕事」「金」を占い師に明示できるのです。例えば先生に向いて座布団の隅が赤交じりの糸なら「恋愛」とか。もちろん今回は座布団を例にしましたが、うまくやれば手の動きなどでも、そうした明示ができるはずです。そして占い師からやはり<私たちの未来予想図>が語られますが、もう相談者の心中は「この占い師こそわが命」になっているかもしれません。この三つの話は一つの例で、現実にはもっと複雑で高度な技法だと思います。あるいはそんな姑息なことをする占い師などいないかもしれません。いづれにしても、不安が覆う今の社会を表象する非科学的で情緒的な事象がテレビやネットでは跋扈しています。物事に疑問と疑いの目を絶えず持ち続ける努力が必要と思うのですが、どうでしょう。だれからも疑い深いヤツと指さされるほどにね…。では
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