なぜ今、虚飾美を追い求める美容整形が全盛なんでしょう。またその施術で一時はコンプレックスの解消につながっても、またすぐ気になりだして美容整形ホリックになってしまいそうな予感…。これ杞憂でしょうか?
疑問(55)続美容整形
2019年の日本美容外科施術数は198万件。その数は1位米国、2位ブラジルについでの世界3位です。また中国と韓国は正確な統計が出ていないのではっきりしませんが、韓国は人口1000人あたりで見ると13.5人の施術数で、それは世界NO1だそうです。さらにその施術に占める美容整形部位についても国ごとで傾向が分かれ、米国やブラジルなどでは豊胸や脂肪吸引といったものが大半。一方、日本や韓国ではレーザ―治療、シミたるみとり、二重まぶたといったメスを使わない、いわゆるプチ整形が約6割を占めているようです。ところで美容整形後の顔は、不思議と「整形顔」と表現できるような同じ顔立ちが多いのはなぜでしょう。美人の基準は時代の変遷で、おのずと変化するものですが、その時々美人と思われる顔面をファッションのごとく、美容整形医がいっせいに採用し施術するからでしょうか。また一説によれば美顔の黄金比率なるものがあるとも言われています。そして余談ですが、その黄金比率を発見したのは日本のとある美容整形医で、今では美容整形大国の韓国へも、昔日本から伝播したものとの説もあります。もちろんそうした美人の基準なるものが、目鼻立ち鮮やかな西洋人への憧憬、あるいはアニメやそれから派生したコスプレ衣装になじんだ造形顔(例えば目だけがアンバランスなほど大きい等々)への嗜好といったものも影響しているのか知れません。ただよく考えてみると、今は各自の多様性や個性を尊重し合う社会を目指しているはずです。さらに社会全般、美人の基準さえ刻々と時代とともに変遷し、また各自の内心における美人の基準さえ世紀を超えて不変といったこともあり得ません。そして何より施術で顔の造作を変えるといった、ある意味赤の他人に依拠した顔面の造形変化は、「人の顔は履歴書」というような、自分が歩んできた歴史の刻印を他人の美的感覚に依拠し消去することになりかねません。ただこれもタトゥーやピスホールなどと一脈を通じるところがあります。例えば、こうした危険な虚飾行為を回避するものとして歴史的経験則の中で見いだされてきたのが化粧や衣服などで、それらが安全で安易に変更できる代替物として培われてきました。ただ今は流行に敏感であればあるほど、また多大な情報や広告の中でコンプレックスが増幅されればされるほど、そうした顔面施術を繰り返し、何か不自然さはあっても、ある種統一的な美の基準が一脈あると明確にわかるほどまで美容整形は全盛です。こんな状態、いつか幾度も幾度も施術する美容整形ホリックに社会が陥らないかとても心配です。隣国でさえ、とある集合写真を見た時、どの人も不釣り合いなほど目のパッチリした、鼻梁の通った似た顔つきの集団だと思ったことがあります。またテレビでも空疎な表情、ちょうどAIアナウンサーのような無機質さを感じる時があります。そして巷では個性を尊重する社会と高らかに謳いながら、メディアにとっては美容整形クリニックが大スポンサーであるが故か、出演する識者も含め美容整形盛況の現状に対しての警鐘的な論調などはさらさらありません。また付言すれば、たとえそれが虚飾美であっても、高額なそれを買える人はいいのですが、買えない人にとっては今の美容整形ブームを肯定し、さらに煽るような社会の風潮は、とても辛いはずです。多様性や個性を大切にするというなら、SDGsの掛け声のように、それを企業評価や利潤のために利用するなどと考えず、個人の多様性を認め合う社会を純粋に推し進めてほしいものです。また第二次世界大戦を契機に、戦争による顔面損傷を受けた人への治療として大きく発展した美容整形ですが、今は人を救うという医療本来の姿からさらに逸脱し、虚飾美の造形や利益の確保に邁進しています。また国公私立に関わらず医学部学生には国民の税金から賄われた多額の国費が支出されていることも重要です。顔の造作を作り替えれば一時はそのコンプレックスから解放されるかもしれません。しかし自分は満足でも自分を取り巻く多数の目、さらには時の経過に晒され、またぞろコンプレックスは幾度も再生してくるものです。「綺麗になるのならいいジャン」などと言わず、ぜひ美容整形の功罪について今一度考えてみてはどうでしょう。
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