元首相の誰かさんと誰かさんの胸像ができるそうです。その胸像、今大問題の国葬と何か類似点があるように感じるのですが、なんなのでしょう。今日は、その疑問でスタートしま~す。
疑問60国葬と胸像
森菅ご両人の胸像ができるそうです。「それ国葬と関係ないだろう?」と言わずにちょっと…。ます国葬について天皇については皇室典範に大喪の礼としてその実施が明記されています。一方、今回のような元首相などの国葬儀は内閣府設置法に基づき閣議決定だけでできると総理はおっしゃっています。そもそも国葬は誰かさんの利害もあって推挙されることが多そうですが、国民の中にも「あんな人全然ダメだ」という人がいたり「まあいいじゃ~ん」という人がいたりで大変なんですよね。ところが今回は吉田元首相国葬時のような野党への根回しや相談、さらには国会審議などもさらさらなく、お友達内閣とも言われる内閣だけで決めてしまったから大問題になっているわけです。ではここから胸像建立との「類似した問題絡み」を説明します。今米国では歴史的価値のあるブロンズ像が各地で破壊撤去されています。それらは、いわゆる人種差別主義者、あるいは現在の価値観からすれば、多くは悪人と評されるような人たちのブロンズ像です。つまり今、建立時には偉人であったはずの人が歴史の再評価に晒され、無残な憂き目にあっているのです。そこでその可能性は国葬についても然りです。今の価値観から「崇高な人」などと推挙しても、無知蒙昧、無能で人品卑しく猥雑下品、さらには不正義の完遂者といった評価を将来うけるかも知れません。その時、どうするのでしょう。胸像なら破壊してエンドです。ただ国葬の実施については歴史を遡及や改ざんして、それを白紙に戻すことはできません。また吉田茂さんの場合は首相退任13年後の国葬ですから、まずまずその人物評価も定まっていたかもしれません。さらに科学者や哲学者などはその評価について学研そのものに捏造やコピペなどの瑕疵が無い限り、あまり人物評価を歪めることはありません。しかし今回の国葬はどうでしょう。統一教会問題を別にしても、とても不安になりませんか?その意味では国葬と胸像、似た者同士の問題を抱えていそうに思うのですが、どうでしょう。
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