映画やドラマの倍速視聴が花盛り。これって一体、何なのでしょう? もちろん音楽についても速聴というのがあるようです。今日はそんな昨今の倍速ブームやそれにくっついた「効率化信仰」について、ナマケモノの語るHatenaの始まり、始まりです。
疑問(78)効率と言う病
どうしてそんなの流行るのか?その解答として圧倒的なのが「何事につけ効率化こそわが命と言う世相の反映」といった論調をよく目にします。ではその「効率化」とは、いったいどんなところに発現しているでしょう。まず、新聞の発行部数の減少と、それに反比例するようにネットニュースの隆盛もその潮流に乗っかっているように思うのですが、どうでしょう。つまりそれは読者に課せられる新聞を読む場合の必要時間を大きく削減、つまり効率化に結びついていそうです。たとえば今は新聞・TV・雑誌などに載る膨大な記事の内、閲覧者が飛びつきそうな記事を事前にヤフーなどが取捨選択あるいは要約してネットニュースとして配信してくれます。もちろんその記事数は新聞に比べて圧倒的に少ないですし、皆が興味ありそうなことに限定していますが、他者との共感や同調圧力を満足させるにはそれで十分の数です。もちろんそれが金銭的負担なく人々が自由に読めるといったことも大きく影響しているように思われます。また小説や物語についても本(電子書籍を含む)を読む時、脳裏に浮かぶであろう主人公の姿や情景のイマジネーションも漫画の隆盛でほぼ不要になっています。ですから、そんな漫画文化もある種の効率化に寄与していそうです。またTVのクイズ番組も、今の盛況さの理由として、当然その製作費の安さもあるでしょうが、ある事象に対するそのプロセスをじっくり論じるような手間暇もかけず、「疑問→回答」とにいった単純明解な思考パターンの繰り返しは局側や視聴者ともに、時間や労力のかからない費用対効果の大きい「効率的番組」だからかも知れません。また、お笑いの世界では近ごろ「要約力」なるものが必要なようです。この「要約力」とは『分かりやすい説明をする技量+それをできるだけ短時間でする能力』だそうですが、こうした笑いの世界にも時間を節約して、かつ即効果を出すといった「効率化」指向が息づいているようです。またちょっと飛躍した話になりますが、会話中に大仰な拍手をする人、よくありますよね。意思表示をボディーランゲージでするあれです。これも「その話、類似の話と比べ、とても愉快な話ね。とくに今言ったところなんか、タイムリー過ぎるよガッハッハ!」とかなんとか手間暇かけて話すより、より時短の効率性を極めたアクションかもしれません。また音楽の再生速度を自由に変更できる「ハヤえもん」というアプリがあります。批評家の中には、倍速でも十分音楽内容を理解できるし、さらにその効果は時間の節約だけではなく、ハイレゾ(CD音源より解像度の高い音質)対応のようになる場合もあると言う人もいます。この他にも「効率化」を目論む物や事象が驚くほど存在する現代です。たとえば瞬時の決断や行動を求められるゲームの世界も、まさにその効率化の波に乗るためのトレーニング場かもしれません。ちょっと話の視点が変わりますが、料理について、こんなこと聞いたことありませんか。超一流の料理人は、その日に仕入れた各々食材を調理場で詳細に再吟味し、やっとその日に作るメニューを決めるというお話。つまり逆に言えば「材料の仕入れ→うまい料理完成で万歳」という短絡作業だけで終われば、その料理人は×ということ。もう少し具体的に言えば、例えば平目を自分で仕入れてきたけど、調理場でもう一度その平目を吟味し、さらに他に仕入れた食材とのハーモニーもよく考え、その上で作る料理を決め「今日の提供料理は平目のデュグレで!」の宣言に至るわけです。つまり「材料揃えて→旨けりゃいい」というプロセス軽視の了見ではダメちゃんなんです。最近TVドラマを観ていても、演者の技量を隠蔽するがごとく流れるBGMの多用のためか、微細なプロセスの描写がほとんど伝わってきません。突飛な話になりますが、例えば恋愛についても「好きになった→結婚」といった初めと終わり、ある意味二項対立的経験だけでは、その場のトキメキ感や苦悩、あるいは手練手管の駆け引きといった甘酸っぱさを味わうことはでません。つまり物事、それに至るプロセスこそ大切ですよね(経験が希薄なのに、こんな上から目線の発言で申し訳ありません~)。いろいろ書きましたが、とにかく「プロセスこそわが命の精神」が大切だと思うのですが、どうでしょう。絵画だって考えてみてください。写実性の精緻さだけにとらわれるなら、今のように写真技術が発達した時代ですから、写真に比べ時間と労力を必要とする絵画は衰退してもよさそうなもの。ですがむしろ深奥な普遍性をもつものとして絵画は発展し続けています。それこそが画家の複雑に入り組んだ精神性をも発露しうる絵画そのものの魅力かもしれません。さらに言えば、芸術なんてそれが無ければ餓死するような生存のための必須アイテムでは決してありません。しかし好きな絵画を見た時のあのホッ~としたひと時。きっと一見無駄なように思われる「非効率」な時間や空間こそが「効率」に抗う人間復活の原動力なのかも知れません。「効率!効率!」と言った掛け声の中でこせこせする毎日。ですから難しいかも知れませんが「非効率で!非効率で!」の掛け声で生きる方が幸せかも知れませんね。「無駄なことこそ味がある」って言いません?…言わない?言わないかなぁ~? では「万国のプロレタリアート、非効率で団結せよ」とカール・マルクスは言わなかったかなぁ?やっぱりこれも言ってないか…
☆あけましておめでとうございます。新年早々、だらだら長い駄文になってしまいました。これに懲りず今年もお読み頂ければ望外の喜びです。
コメント